すっかりドイツの暮らしに染まっていた私が、娘の誕生を機に「日本語」、そして「日本」と向き合うようになりました。でもそれは、気付けばドイツ語しかしゃべっていなかった私にとって簡単なことではありませんでした。
生活に「日本」を取り入れていなかった
15年前、ドイツの病院で第一子となる娘を出産しました。ドイツ生活8年目のことです。それまで私は日本語という言語を特に意識したことはなかったと思います。
日本での大学時代は言語学に興味があったので、必修科目ではなかったけれど日本語学の授業を取ったりはしていました。「面白いなあ」と興味深く学んでいましたが、専攻はドイツ語だったのでとにかく大好きなドイツ語の勉強に励み、渡独後は大好きなドイツでの暮らしを満喫!
最初は大変なことばかりで泣き暮らしていましたが😅
生活に「日本」を取り入れていませんでした。
ドイツ人の夫とは当然ドイツ語で会話し、ドイツのテレビ番組を見て、日本食にもあまり執着がなかったのでドイツの標準的な食生活をしていたのです。それに何の疑問も感じていませんでした。
娘が生まれるまでは夫と二人暮らしだったので、家での会話は100%ドイツ語。家の中で日本語を発するということがありませんでした。
そのことに気づいたのは、娘が生まれて少ししてからのこと。それまで家の中でドイツ語しかしゃべったことがなかった私は、「アー」とか「ウー」とか言う生まれたばかりの娘に対して、ごく自然にドイツ語で話しかけていました。
娘はなかなか寝付かない子だったので、毎日抱っこしながら何時間も家の中をさまよう……ということをやっていましたが、その時だけは日本語の童謡を歌い聞かせていた記憶があります(単純に、私がドイツ語の童謡を知らなかったからですが笑)。
ようやく娘に日本語で話しかけられるように
でも童謡を日本語で歌う以外は、ドイツ語で話しかける日々。そのうち「日本語で話しかけた方がいい」ということに気づいたのですが、これがなかなか難しくて。ついドイツ語を使ってしまっていました。
そんな中、娘の1歳の誕生日直前に出産後初めての一時帰国。その時にようやく、「娘と日本語だけでコミュニケーションを取る」ということを身に付けることができたような気がします。私の実家で両親と一緒になって娘に日本語で話しかける毎日が、とても助けになりました。
今となってはドイツでの日常生活で日本語を話すのはごく普通のことなので、思い返してみると自分でもびっくりするのですが、子供が生まれるまでは本当にドイツに染まった生活をしていたのだなぁと改めて思います。
- 家の中ではドイツ語100%、日本語0%(ドイツ在住の日本人の友達とは定期的に会っていたので、日本語を話す機会はありました)
- 日本食を恋しいと思わない
- ドイツビールとドイツパンがあればそれで幸せ
- ドイツのテレビを普通に面白いと思って見ていた
- ジャーマンポップ(ドイツ語で歌うミュージシャンの曲)も好きだった
いろいろ過去形なのが気になるよね!(笑)
これが娘の誕生により、あるものは一気に、あるものは徐々に徐々に変わっていくことになるのです……。
娘と共に我が家に入ってきた「日本」
この変化の一部は、厳密に言うと妊娠中に始まっていました。
つわりがひどくてけっこう苦しんだのですが、そんな中、唯一食べられるものがなんと日本食だったんですね~。ご飯とお味噌汁。もうこれが食べたくて食べたくて、このことしか考えられない!なんていう日もありました(笑)。
それまでの人生、常に洋食の方を向いてきた感じでしたが、突如やってきた和食ブーム!それは結局ブームで終わることはなく、その時を境に「外国にいながらどうにか和食を作る」ことにエネルギーを注ぐ私のドイツライフが始まったのでした。
娘とともに、ドイツの我が家に入ってきた日本語と日本食。そしてその変化はのちに、日本のテレビ、Jポップ……と、拡大していきます。
こういった様々な変化が起こることは想像していなかったというか、そういうテーマ自体、考えたこともなかった気がします。結婚して子供を持つ。シンプルにそれだけ。自分の子供がハーフになるんだ!という意識は特にありませんでした。
ですが、初めての一時帰国で「娘と日本語で話す」ベースを身に付けた私は、その後、「私は日本語担当」という意識を常に強く持って子育てをしていくことになります。