日本語を話し続けることには葛藤もあった
「ママとは日本語のみで話す」ことが子供の中に染み込むまで、私はこれを何が何でも徹底しなくては!と、どんな場面でも子供には日本語で話し続けました。
子供が少し大きくなってくると、近所の友達の中に私の日本語を時々からかう子が出てきたりもしました。
私が子供に日本語で何かを言っている横で、友達がニヤニヤしながら私の言ったことを真似て復唱する……そんな感じです。でもそういう子はごく少数派で、私がたまたまそういった経験をしただけなのかもしれません。
それはプチ苦痛ではあったのですが、気にしないように努め、我が子には日本語で話すようにしていました。「子供がもう少し大きくなるまでの我慢我慢」と自分に言い聞かせて。
まだ小さい頃は、とにかく「ママ=日本語」を染み込ませないと、成長と共に日本語がドイツ語に押し流されていってしまいます。
少しでも「ママとはドイツ語でも話せる」と子供が思ってしまうと、どんどんドイツ語の会話が増えていくのは当然のこと。ドイツで暮らしているのだから、子供にとってはドイツ語を話す方が自然で楽なわけです。
日本語をからかってくる友達の前で日本語を話し続けるのが苦痛だったというだけでなく、からかってこない友達の前で日本語を話すことも、「この子が分からない言葉で話すのは悪いな……」という気持ちがあって、常に何かしらの葛藤がありました。
そんなに深い葛藤だったわけではないですけれどね!
「ドイツ語解禁」は私にとって……
そんな時期を経て、子供が小学校2~3年生くらいになった頃でしょうか。はっきりとは覚えていないのですがそれくらいの頃に、「もう人前限定でなら、ドイツ語で会話をしても大丈夫かな?」と判断して形態を変えることにしました。ドイツ語解禁です!
日本語が分からない人がいる場では、子供とできるだけドイツ語で話すように心がけました。それまで何年間も日本語だけで会話してきたので、突然ドイツ語で会話するなんて、お互い変な感じがするのですよ(笑)。でもそれは相手に疎外感を感じさせないため、そしてドイツの社会に常に馴染んで生活していく上で大切なこと。そのくらいの年齢になると子供も切り替えることができるようになってきていて、「ママとは日本語」の土台を崩すことなく、シチュエーションによってドイツ語も人前で使えるようになりました。
それができる、ということを実感したとき、「あぁ、これで娘(息子)の日本語の土台は一応できたかな」と一旦安心することができました。「これでこの先きっと、日本語が完全にドイツ語に押し流されてしまうことはないだろう」と。これは私にとっては、一つの大きな課題をクリアした、という感じでした。
15歳と11歳になった子供たちは今でも、程度の差はあれ、日本語で話す土台を保ち続けています。